高南台地区域1


高南台地区域

24四万十川

四万十川
所在地/四万十町壱斗俵
管理者/高知県
  津野町不入山の源流を発した四万十川は、中土佐町を通り窪川地域の上秋丸から四万十町に入って高南台地を南流する。仁井田川と合流した後、窪川で西に向きを変え、大正地域・十和地域に向かう。
 四万十川は、激しく穿入蛇行を繰り返すのが特徴であるが、窪川地域では、高南台地と呼ばれる比較的開放感のある堆積谷底平野を、穏やかに蛇行しつつも直線的な流路となった流れで、四万十町内では、窪川地域と大正地域・十和地域では全く異なる様相を呈している。
 四万十川は、上流部に近いこの地域では下流域に比べて増水期の水量も少ないことや流れが緩やかなことから、本流に多くの堰が築かれ、その豊かな水が高南台地に導かれ、広大な農地を潤している。
 一方で、四万十川は頻繁に洪水を引き起こす川でもあり、市生原や越行などの護岸には、石積みの堤防、護岸のための竹林が見られる。 四万十川は、その本流の豊かな清流によって高南台地を広大な美田に成長させ、流域住民に全国でも有数の良質米である仁井田米という豊かな恵みを与える、価値のある存在である。

24日野地川

日野地川
所在地/四万十町日野地〜
四万十町窪川中津川
管理者/高知県
  日野地川は、標高1,054mの鈴ヶ森を源とし、日野地、窪川中津川地区を流れる四万十川の支流である。上流には、約三千haの松葉川山国有林を有している。
 流域は良材の宝庫であり、藩政期には御留山が広範囲に存在し、国有林に引き継がれた。国有林は皆伐されたが、杖立への古道沿い、春分峠から鈴ヶ森頂上へ至る防火帯、久保谷風景林等には保護林や風景林として藩政林から残された巨木や古木がある。 日野地川流域は自然の豊かな渓谷で、川沿いには森ヶ内風景林やキャンプ場、松葉川温泉があり、春の新緑、夏のホタル、秋の紅葉と、観光・レクリエーションが楽しめる地域の貴重な資源である。

24森ヶ内風景林

24佛ヶ森山国有林

奥大道自然観察教育林
所在地/四万十町窪川中津川
管理者/四国森林管理局

佛ヶ森山国有林
所在地/四万十町窪川中津川
管理者/四国森林管理局
  森ヶ内風景林は日野地川流域に展開する国有林で、藩政期の御留山を引き継ぐものである。藩政時代に植えられたヒノキなどの大木が林立する森と渓谷美に優れている。
佛ヶ森山国有林は、森ヶ内風景林に隣接し、樹齢100のヒノキなどの大木が林立する森林美に優れている。
 風景林で見られるバイカオウレンは、牧野富太郎が土佐で真っ先に春を告げる花の一つとして特に好んだといわれ、高知県立牧野植物園のロゴマークとなっている。松葉川温泉と林間キャンプ場に隣接し、遊歩道も完備されている。 森ヶ内風景林と佛ヶ森山国有林は、ともに日本の発展や戦後の復興への木材の需要に対し、積極的な木材の供給に応えてきた国有林の一部である。四万十川流域の豊かな森林と、それによって支えられた日本の国有林事業の歴史を知ることができる貴重な存在である。

24水田(上壱斗俵・下壱斗俵)

24上壱斗俵集落

24下壱斗俵集落

上壱斗俵集落・下壱斗俵集
所在地/四万十町壱斗俵
管理者/個人
 壱斗俵は、窪川から四万十川の上流に約9kmの場所にある。高南台地と呼ばれる四万十川沿いの平野部の最上流域に位置し、農業を生業とする集落である。
壱斗俵集落のある高南台地は、仁井田米に代表される県内でも有数の穀倉地帯で、この稲作は弥生時代から行われてきた。
壱斗俵は、応安(1368年〜1375)の初めに奥州南部の住人周防守高忠がこの地に住み着き、田地を開拓し穀物一斗を貢物として時の国造りに献上したことが地名の起源といわれ、中世神田郷の土豪南部氏の開発地であったと伝えられる。高南台地では、仁井田五人衆による開発が進められ、天正地検帳には一万六四三石五升七合の石高が記されている。
新田開発の課題は灌漑用水の確保であり、農地開拓の歴史は灌漑の歴史でもある。高南台地では、四万十川の本流に多くの堰や水路を築き広大な農地を開拓してきた。
壱斗俵は、四万十川の本流に築かれた堰と水路による灌漑で潤された美田が広がる集落で、ここに構築された法師ノ越水路トンネルや松葉川発電所は、この地域における灌漑の苦難を物語る貴重な存在である。 壱斗俵は、数々の苦難を英知と汗によって乗り越えてきた、高南台地における水源利用と土地利用を理解する上で欠くことのできない景観地である。

24法師ノ越水路トンネル

法師ノ越水路トンネル
所在地/四万十町一斗俵
管理者/四万十町
  法師ノ越水路トンネルは、壱斗俵と市生原集落の水田を灌漑するために構築されたものである。
明治23年の大洪水で、壱斗俵と市生原の両集落に通じる灌漑用水が破壊された。そこで、市生原の野村成満は、この自然の猛威を回避するためには、法師ノ越山に水路トンネルを抜く以外に方法はないと考え、農民を説いて資金を募り工事を始めた。しかし、資金が足りず所有の山林や田畑を売却してこれに当て、難工事の末に完成させたものである。この水路トンネルは、100年の長きにわたり農地を潤し両集落に多大な恩恵を与えてきたが、老朽化のため、平成10年に改修された。
水路トンネル 長さ:343.0m
受益面積:37.6ha


24一斗俵沈下橋

一斗俵沈下橋
所在地/四万十町壱斗俵
管理者/四万十町
  一斗俵沈下橋は、昭和10年(1935)年に架けられた、現存する沈下橋中では最も古い橋である。壱斗俵と米奥集落を結ぶ橋で、この場所には渡し場があり、渡し舟により往来行われていた。
架橋は難工事で、橋の中央部は川底の岩盤が深く、「木工沈床」という割り石を詰めたものを川底に敷き詰める工法で構築された。
下流に堰があり水流は極めて緩やかであるが、台風による洪水で完成したばかりの橋の中央部が流出した。復旧工事も困難を極め、中央部の橋脚の幅を長くすることで修復した。対岸の米奥には小学校や商店があり、通学や買い物などの日々の往来に利用されてきたが、現在は老朽により通行止めとなっている。橋は国の登録有形文化財である。

架橋年度 昭和10年
路線名 町道米奥一斗俵線
周辺環境 地勢:山地、水流:淀み
通行 通行止め
代替橋の有無
橋長・幅員 橋長60.6m・幅員2.5m
橋脚 本数:8本、構造:鉄筋コンクリート、形状:直方体
床版

厚さ:30cm、天端高:10cm、形状:直方体

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