大正奥四万十区域1


大正奥四万十区域

1梼原川

梼原川
所在地/四万十町下津井〜大正
管理者/高知県
 梼原川は、隣接の檮原町から下津井で四万十町に入り、穿入蛇行をくり返しながら大正地域の山間部を南流し、四万十町大正で本流の四万十川に合流する。合流部では四万十川と同じ規模の川幅、水量であるが、四万十川に比べて川幅が非常に狭く流れも急なのが特徴である。上流域で産出される木材は筏流しや管流し、木炭・梶・楮等の農林産物は高瀬舟による水運が発達した。梼原川は、下津井や松原等の中・上流域と河口の下田とを結ぶ重要な役割を担っていた。梼原川に沿って、森林軌道(旧大正林道)や道路(国道439号線)が整備されると、梼原川を使った水運から森林軌道やトラック輸送へと移り代わっていった。梼原川は、自然環境保全法第4条に基づく「自然環境保護調査」による特定植物群落の「トサシモツケ」の生育地であり、流域住民の生業を支えてきた存在であるとともに、豊かな自然を有する河川である。

2中津川

中津川
所在地/大正中津川〜大正大奈路
管理者/高知県
  中津川は、中津川北部の小松尾山を源とし、下流域で成川谷と合流し、大正大奈路で梼原川に注いでいる。中津川地区は良材の宝庫であり、藩政期には御留山が広範囲に存在した。明治期から大正期にかけて官材の伐木が活況を呈し、森林軌道や林道が整備されるまでは、中津川を利用した堰出し・管流し等の方法による木材の搬出が行われ、四万十川流域の林業経営を支える重要な役割を担っていた。川沿いには久木ノ森山風景林があり、自然の豊かな渓谷は、「びんびまつり(アメゴ釣り)」や「紅葉祭り」等のイベントが催される、地域の貴重な資源である。

3久保谷風景林

久保谷風景林
所在地/国有林3025、4027、4028林班
管理者/四国森林管理局
 久保谷風景林は、森ヶ内風景林の上部、四万十町と梼原両町の行政界周辺に位置し、標高は400mから831mに及ぶ124.51haの区域である。林相は、四万十町側がスギ・ヒノキの人工林と天然生針広混交林、梼原町側が92〜217年生のモミ、ツガ、ヒノキに広葉樹を交えた天然針広混交林からなっている。昭和47年12月発行の「高知営林局史」によると、この天然生林は809ha、蓄積28,400m³を有し、高知県東部魚梁瀬のスギを主とした天然生林に対し、モミ・ツガを主とした四国西部の宝庫として知られた区域である。昭和40年に開設された久保谷製品事業所によって開発され、国有林事業の発展を支えたが、7年間で資源の半ばを伐採し、人工林地として様変わりした。この頃より急速に高まってきた自然保護・風致保全の要請に応えるため、昭和48年(1973)に、通称春分峠付近のモミ・ツガ林を「久保谷風景林」として設定した。久保谷山は、大径のモミ・ツガ・ヒノキ・などの針葉樹とアカガシ(県内2番目という胸高直径5.53m、樹高15m、推定樹齢500年のアカガシも存在する。)・ウラガシ・ツクバネガシなどの樹高20〜30mの常緑広葉樹が混生し、四国中西部における温暖帯上部の代表的かつ貴重な天然林の森林である。また、行政界付近の「春分峠」から望む四国山地の山なみや四季折々に変化する景観、一斉人工林の森林美等、眺望の優れた地域でもある。

4木屋ヶ内橋

木屋ヶ内橋
所在地/四万十町木屋ヶ内
管理者/四万十町
 木屋ヶ内橋は、木屋ヶ内集落の梼原川に架かる沈下橋で、これが架橋されるまでは、渡し船による通行が行われていた。上流に津賀ダムが建設されて水量が減少し、川底の露出が激しくなり、渡し船による通行が困難になったため、それまであった渡し場に軽易な鉄筋入りセメント橋が架橋されたものである。3本の橋脚のうち2本は自然の岩が利用され、強固さと経費の軽減を図っているのが特徴。木屋ヶ内集落は、梼原川の両岸に農地と人家が展開しており、対岸との往来を活発にし、昭和期の梼原川流域の近代化を支えた貴重な橋のひとつである。現在も、集落内の農地と人家を結ぶ生活道として重要な役割を果たしている。
架橋年度 昭和28年
路線名 町道木屋ヶ内2号線
周辺環境 地勢:急峻、水流:急流
通行 普通車通行可
代替橋の有無
橋長・幅員 橋長27.4m・幅員3.0m
橋脚 本数:3本、構造:鉄筋コンクリート、形状:直方体
床版 厚さ:30cm、天端高:10cm、形状:直方体


5旧大正林道佐川橋(通称メガネ橋)

旧大正林道佐川橋(通称メガネ橋)
所在地/四万十町下津井
管理者/四万十町
 佐川橋(通称メガネ橋)は、佐川山の国有林と旧大正町田野々(四万十町大正)を結ぶため、払川が梼原川に合流する地点に架橋された旧大正林道の鉄道橋である。梼原川流域は、明治期から昭和期にかけて官材の伐木が盛んで、佐川橋のある下津井周辺も、藩政期の御留山を基盤に国有林事業を展開してきた地域である。明治44年に須崎市の三浦木材によって四万十川水系での最初の森林軌道が中津川・大奈路間に敷設され、材木の近代的な搬出が開始された。営林署は、国有林事業の本格化に伴い大正14年に三浦木材の軌道を買い上げると、大奈路・田野々間に軌道を敷設し田野々に貯木場と簡易製板を設置するとともに奥地へ軌道を延長した。これによって、梼原川流域の森林軌道は、梼原川に沿って下津井坂島山に至る大正林道と中津川に沿って大筋山に至る中津川林道の2本となった。さらに、大正林道は坂島から下津井佐川山へ延長され、それに伴って建設されたのが佐川橋である。現在の橋は、ダム建設に伴い旧軌道が水没することとなったため、昭和19年に架け替えられたものであるが、藩政期の林業政策によって保護され現代に引き継がれてきた、四万十川流域における国有林事業の歴史を伝え、それを象徴する建造物である。下津井は、津賀ダム湖畔の風光明媚な場所で下津井温泉の保養地としても知られる。四万十町は、下道・下津井間をウォーキングトレイルとして整備し、町内外の人々に親しまれるハイキングコースとなっており、この終点が佐川橋である。地元では「メガネ橋」の愛称で親しまれている。
架橋年度 昭和19年
橋脚 鉄筋コンクリート造三連アーチ橋
橋長・幅員 高20m・幅員2m・橋長82m


6旧大正林道柿ノ木サコ橋

旧大正林道柿ノ木サコ橋
所在地/四万十町木屋ヶ内
管理者/四万十町
 旧大正林道柿ノ木サコ橋は、梼原川と支流の小谷が合流する地点に架かる、道幅3.8mの小さなアーチ橋である。国有林のある佐川山から田野々(現四万十町大正)を結ぶ旧大正林道の橋梁として建造された。両端の擁壁石垣には、100mほど川下の石切場から採石された切石が用いられ、さらに、軌道を上流に延長するためにこの加工石が利用されている。昭和41年まで、梼原川の右岸を旧大正林道が走っていた。連日、木材を満載したトロッコが機関車に引かれてこの橋を通行した。森林軌道橋として、四万十川流域で活発に展開された国有林の営林事業を支えたが、昭和41年に廃止され、以後は町道として利用されている。旧大正林道柿ノ木サコ橋は、梼原川対岸の国道から望むことができ、この地域の林業の繁栄を今に伝える存在である。
架橋年度 昭和19年頃
橋脚 鉄筋コンクリート造アーチ橋
橋長・幅員 橋長7m・幅員3.8m

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