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    四万十川流域の文化的景観(四万十川中流区域) 5

    担当 : にぎわい創出課 / 掲載日 : 2012/03/28

    四万十川中流区域

    50 第一三島橋

    51 第二三島橋


    第一三島橋

    所在地 四万十町昭和
    管理者 四万十町



    第二三島橋

    所在地 四万十町昭和
    管理者 四万十町

    三島は四万十川最大の中洲で、そこでは水田の耕作という独特な土地利用が行われている。その三島に渡り、対岸との往来のため、2つの沈下橋が架かっている。三島の右岸の国道381号線側が第一三島橋、左岸の轟集落側が第二三島橋である。
     第一三島橋は昭和41年、第二三島橋は昭和42年の架橋で、この2つの橋が完成するまでは渡し舟が運航されていた。中洲で左右に分流する四万十川は、右岸側は比較的緩やかであるが、左岸側は轟の瀬と呼ばれる急流で、古来より往来の難所であった。この2つの橋の架橋により、中州・三島と両岸の往来が容易となり、中州での農作業も大きく向上した。
    中洲・三島という独特の地形のなかでの農業という営みによって、四万十川に季節ごとの彩りを添えている。轟集落の人々に生業を与えるとともに、それを支えてきた沈下橋である。

    第一三島橋

    架橋年度 昭和41年
    路線名 町道昭和戸口線
    周辺環境 地勢:山地、水流:普通
    通行 普通車通行可
    代替橋の有無
    橋長・幅員 橋長77.0m・幅員3.3m
    橋脚 本数:5本、構造:鉄筋コンクリート、形状:直方体
    床版 厚さ:50cm、天端高:10cm、形状:直方体

    第二三島橋

    架橋年度 昭和42年
    路線名 町道昭和戸口線
    周辺環境 地勢:山地、水流:急流
    通行 普通車通行可
    代替橋の有無
    橋長・幅員 橋長55.0m・幅員3.3m
    橋脚 本数:4本、構造:鉄筋コンクリート、形状:直方体
    床版 厚さ:50cm、天端高:10cm、形状:直方体

    52 小野集落


    小野集落

    所在地 四万十町小野
    管理者  

    小野集落は四万十川左岸に位置し、四万十川の河岸段丘上に中流域では稀な規模の耕地があり、その小高い丘上に民家や社寺が展開した、農業を生業とする集落である。
     この農地は、第二次大戦前後に行われた灌漑工事によるもので、それまでは、丘上の地形で水利が悪く水田が少ないため、農業を主体としながらも副業に生業を求めなければならず、それに筏師と紙漉きがあった。
     四万十川では河川流通が発達し、流域で伐採された木材は筏流しや管流しによって、河口の下田港まで運ばれた。対岸の久保川口には木材の集積地があり、そこから、小野周辺では最盛期には60人〜70人を数える筏師が現れた。
     また、小野周辺では古くから周辺山地で採れる楮を原料に、晒の工程で四万十川を利用した紙漉きが行われていた。仙花紙と呼ばれるこの紙は、藩政期から昭和期にかけて高瀬舟で江川崎を経由して下田へ輸送され京阪神へ移出された地域の特産物であった。農閑期や筏による搬送が少ない渇水期になると、紙漉きは多忙を極めた。小野集落の景観は、四万十川奥山の山間で生産される農林産物の流通・往来と大きく関わりを持ちながら形成されている。四万十川中流域の農村集落の成立と流通往来の歴史を理解するうえで、欠くことのできない重要な文化的景観である。

    53 小野の水田


    小野の水田

    所在地 四万十町小野
    管理者  

    小野集落は、太平洋戦争前後の水田灌漑工事によって米作が大いに前進した。対岸の国道から集落を望むと、豊かな水田が四万十川左岸の丘状地に段状に開拓され、旧十和村の中でも特にまとまって整備された広い農地が展開する。
     小野のホノギ(字名)には、灌漑設備を示すと思われる「ヒノクチ」「ツルイノスソ」などがある。稲作は農業の中心であり、灌漑施設の整備は時代を通じて重要であった。小野の水田は、付近で採取された山石、川石を積み上げた石垣によって段状に開拓され、近年に整備された痕跡も見られる。
     現在は揚水施設が整備され、四万十川の豊富な水によって棚田が潤され、十和錦という良質米が生産されている。 小野集落の水田は、四万十川中流域における土地利用を理解するうえで欠くことのできない景観である。

    54 曾我神社

    55 八坂神社

    56 願成寺


    曾我神社

    八坂神社

    願成寺


    曾我神社と八坂神社は、四万十川左岸小野集落の河岸段丘上の小高い場所の鎮守の森に並んで鎮座している。曽我神社は室町時代の文明三年(1471)に勧請されたと伝わっている。
     願成寺は、旧大正町田野々の五松寺を本寺と小野集落の寺屋敷に所在する曹洞宗の寺である。開山の年歴は不詳で、明治4年の廃仏毀釈により廃寺となったが同13年に復興し、現在に至っている。
     十和村史によると、小野集落はかつて十和地域の中心的存在であった四手城の城主で蘇我氏の末裔である中平氏の領地で、曾我神社はその祖神を祭ったものとある。また、小野村は小野、久保川(窪川)、大道、井崎地区で構成され、小野に庄屋が置かれていた時期もあった。さらに、一つの集落に3つの社寺が存在することから、小野集落はこの地域の中心的な場所としてその役割を担ってきたことが伺える。曾我神社と八坂神社及び願成寺は、四万十川流域において小野集落の形成とその役割を理解するうえで、重要な建造物である。


    このページに関するお問い合わせ

    にぎわい創出課

    〒786-8501 高知県高岡郡四万十町琴平町16番17号
    電話:0880-22-3281 Fax:0880-22-5040

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