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四万十川流域の文化的景観(四万十川中流区域) 3
37 仙花紙(泉貨紙)製作所
所在地 | 四万十町大井川 |
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管理者 | 個人 |
仙花紙(泉貨紙)は、純楮製の厚紙で、藩政期から昭和期にかけてこの地域で漉かれた特産物で、伊予から伝わったとされる。戦国時代末期の天正年間、現在の愛媛県西予市(旧野村町)の武士、兵頭太郎右衛門が隠とん後、工夫して発明したと言われている。漉くときに二枚の和紙を一枚に合わせるのが特徴で、強靭な強さが備わるため戦前まで帳簿用紙、戸籍用紙、土地台帳用紙などとして大量の需要があった。
山間部に位置する四万十川中流域は、耕地が少なく農業を主体としながらも副業に生業を求めなければならなかった。そのため、十和地域では古くから農閑期や四万十川の渇水期に晒の工程で四万十川を利用した紙漉きが行われていた。明治期には生産額で木炭とともに首位を占めていた仙花紙の製造も、大量生産の紙に押されて途絶えていたが、大井川で再開され漉かれている。 仙花紙は、和紙の世界でも始期が明確な紙として知られ、今に伝わる貴重な楮紙である。四万十川中流域における農山村集落の生業を理解するうえで重要である。
38 国道381号線
所在地 | 窪川橋~四万十市境 |
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管理者 | 高知県 |
四万十町内を四万十川に沿って延びる国道381号線は、須崎市から愛媛県宇和島市へ至る道で、四万十川中流域と愛媛県(伊予)とを結んでいる。昭和50年に県道窪川宇和島線が国道となった。
四万十川中流域では、県道窪川宇和島線が整備されるまで旧往還が主な交通路であったが、道幅が狭くて坂道も多く往来の難所であったことから四万十川を利用した河川流通が発達した。
また、愛媛県との県境に接し、東部の窪川へ向かう道に比べ宇和島に通じる道が比較的良かったことが、伊予との流通・往来を活発にさせ、この地域に大きな影響を与えた。その一つに仙花紙がある。
伊予から伝わったとされる仙花紙は、伊予との往来によってもたらされた紙漉きの技術と楮の産地とが結びつき、四万十川中流域の特産品となった。「伊予の松丸土佐で持つ」、「北幡の人たちは伊予のおかげで生きてこられた」という言葉が、この地域と伊予との関わりの深をよく示す。 国道381号線は、旧往還に替わる四万十川中流域の主要道であるとともに、この地域と伊予とを結ぶ重要な道である。
39 県道大方大正線
所在地 | 国道381号線~四万十町打井川宮ノ脇313-12 |
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管理者 | 高知県 |
県道大方大正線は、JR打井川駅前の国道381号線から四万十川を渡り、打井川から四万十市境の鳥打場を経て黒潮町上川口(旧大方町)に至る道である。また、途中から黒潮町佐賀(旧佐賀町)へ向かう県道住次郎佐賀線に分岐している。鰹漁の町として知られる佐賀は、藩政期には御蔵米を保存する蔵があり、中世から幡多地域の重要な港であった。
古来より打井川と佐賀との間には「佐賀道」と呼ばれる往還があり、四万十川中流域と太平洋沿岸を結んでいた。この道を通り、大正地域で生産された林産物が佐賀港から廻船で高知や京阪神に、また、佐賀港に陸揚げされた日用雑貨・呉服類・海産物が大正地域に運ばれた。
打井川と太平洋沿岸とのつながりを示すものに、県道住次郎佐賀線に鎮座する「道文神社」がある。道文神社は、元弘の変(1331年)で土佐に流された孝良親王の臣下で、親王の命を受けて上京の途中この地で病死した「秦道文」を祀っている。腰から下の病にご利益があると言われ、佐賀や大方からこれらの道を通り多くの参拝者が訪れた。県道大方大正線が四万十川を渡る場所は、かつて渡し舟で往来していたが、沈下橋の時代を経て抜水橋が架けられた。地域住民の生活道であるとともに「道文神社」の参拝道として利用される重要な道である。
40 県道秋丸佐賀線
所在地 | 国道381号線~四万十町家地川マリノキナロ645-3 |
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管理者 | 高知県 |
県道秋丸佐賀線は、秋丸の国道381号線から四万十川を渡り、家地川を通って黒潮町荷稲(旧佐賀町)で国道56号線に出て佐賀に向かう。
佐賀は、中世から幡多地域の重要な港であった。このため、古来より大正地域で生産された林産物は、秋丸・家地川から佐賀に至る往還を利用して佐賀港に運ばれ、そこから廻船で高知や京阪神に送られた。また、佐賀港に陸揚げされた日用雑貨・呉服類・海産物は家地川まで陸路で、そこから四万十川の水運などを利用して田野々方面に運び込まれた。 県道大方大正線は、未改良の場所もあるが、大正地域と太平洋沿岸とを結ぶ最短の道であり、利用者も多い。
41 県道昭和中村線
所在地 | 国道381号線~四万十町野々川字上川平441-17 |
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管理者 | 高知県 |
県道昭和中村線は、大井川から野々川を経て堂ヶ森を越え中村(四万十市)へ至る道である。十和地域から中村へ通じる最短の道で、下田港へ至る旧往還があった。
中村は、藩政期に郡奉行所、明治期に郡役所が置かれた幡多地方の中心地で、旧往還は公的権力への連絡道であった。しかし、昔の道は幅員が狭く牛馬での荷物の搬送は困難で、この道を利用した物資の運搬のほとんどは人力であった。このため生活物資や林産物の輸送・搬出よりも中村への所用や筏流しに携わった人々の帰路、製紙材料の買付に利用されることが多かったという。
これは、四万十川を利用した河川流通の発達や、活発な伊予(愛媛県)との往来を理解する上で重要である。 現在は、道路の整備が進み自動車の通行が可能となり、十和地域と中村とを結ぶ生活道や産業道として利用されている。
42 町道大井川西土佐線
所在地 | 四万十町大井川字シモ込み132-3~四万十町井崎字一中平口554-3 |
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管理者 | 四万十町 |
町道大井川西土佐線は、大井川から小野集落を通り井崎を経由して西土佐に向かう道で、対岸の国道381号線に並行して伸びている。
かつて、四万十川中流域では仙花紙(泉貨紙)の製造が盛んで、この道沿いの小野集落もその一つであった。この道を通り、原料の楮の買付に四万十市の竹屋敷や藤ノ川まで出かけている。 町道大井川西土佐線は、四万十川左岸の集落と集落を結ぶ生活道であるとともに、流域の特産物であった仙花紙の製造を支えた道である。一時は途絶えていた仙花紙の製造が再開された大井川も、この道沿いの集落である。
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