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    四万十川流域の文化的景観(四万十川中流区域) 4

    担当 : にぎわい創出課 / 掲載日 : 2012/03/28

    四万十川中流区域

    43 町道久保川小野線


    町道久保川小野線

    所在地 四万十町久保川字松ヶハナ343-1〜四万十町小野字西ヤシキ484-イ
    管理者 四万十町

    町道久保川小野線は、四万十川左岸の久保川と右岸の小野を結ぶ道で、以前は地区輪番制で渡し船が運航されていた。それが、竹の浮橋、木橋、昭和33年には小野橋(沈下橋)へと替わり、昭和62年に抜水橋が架橋されたものである。
     明治期から昭和初期にかけて、四万十川奥地では山林開発事業が盛況を極め、伐採された木材は筏に組まれて四万十川を下田港まで搬出された。当時の久保川口は筏の中継地であり、そこから、対岸の小野では紙漉きとともに筏師を生業とする者が多く現れた。小野集落の筏師は、この渡し場から久保川口へ向かった。また、特産物の仙花紙も、ここを通り四万十川流域の林産物を一手に扱う商人がいて十川に運ばれた。 町道久保川小野線は、四万十川の渡しと架橋の歴史、及び川沿いの集落の流通・往来を理解する上で重要である。

    44 町道四手崎線


    町道四手崎線

    所在地 四万十町昭和字四手崎山1133-45〜四万十町昭和字サカモト199-1
    管理者 四万十町

    町道四手崎線は、四万十川の穿入蛇行によって形成された半島状の地形に沿って延びる道で、四手崎という集落がある。この四手崎と対岸の戸口の間には渡し場があった。
     古くは昭和を四手といい、四手崎はその東部に位置している。半島状の地形の付け根の場所には四手や十川と田野々(現在の四万十町大正)とを結ぶ旧往還の「四手峠」があった。また、対岸の戸口は中村へ至る往還に通じており、四手崎と戸口の渡し場は二つの往還をつなぐ要所でもあった。 四手崎は、河岸段丘上に数件の民家が耕地を開墾し農業を営む集落である。町道四手崎線は、四万十川中流域の幹線である国道381号線につながっており、川沿いの集落にとって重要な生活道となっている。

    45 町道昭和戸口線


    町道昭和戸口線

    所在地 四万十町昭和字サカモト199-1〜四万十町野々川字下モ川平440-21
    管理者 四万十町

    町道昭和戸口線は、国道381号線から四万十川の中洲・三島を通り、轟と戸口の両集落を経て野々川に至る道である。
     かつて、轟には渡し場があり、渡し船は集落の所有で、全戸が順番で渡し守を行っていた。轟側の岸にフナバン小屋というのがあり、対岸に人の姿が見えると舟を出して迎えに行った。中州・三島の両岸に沈下橋が架けられると、轟の渡しは廃止された。
     戸口集落は中村に通じる往還から四万十川を渡る要所で、集落の入り口には茶堂があって、今も「茶上げ」という旅人をねぎらう習慣が残っている。 四万十川の最大の中州・三島では、轟集落の住民によって水田の耕作という独特の土地利用が行われている。町道昭和戸口線は、轟と戸口の両集落と四万十川流域の幹線である国道381号線を結ぶ生活道であり、三島で農業を営むための農道の役目もある。 三島の左岸に轟集落に通じる抜水橋が架けられ、中州での農作業は大きく向上した。

    46 町道轟藤の上線


    町道轟藤の上線

    所在地 四万十町昭和字神田110〜四万十町茅吹手字下家3-1
    管理者 四万十町

    町道轟藤の上線は、四万十川左岸の轟集落から上流の民家へ通ずる集落道である。轟集落で、中洲・三島を通り国道381号線に通じる町道昭和戸口線につながっている。
     轟集落の住民は、四万十川の最大の中州・三島に農地を開墾して生業とし生活を支えている。 町道轟藤の上線は、轟集落の住民の生活道であるとともに、三島で農業を営むための重要な農道の役割も担っている。

    47 轟集落

    48 三島の水田


    轟集落

    所在地 四万十町昭和
    管理者 個人



    三島の水田

    所在地 四万十町昭和
    管理者 個人

    轟集落は、四万十川最大の中州・三島の左岸にあり、三島に農地を開墾し生業としている。
     四万十川では、林業の繁栄とともにその流れを利用した河川流通が発達したが、岩礁や蛇行、急流域も数多くあり、危険を伴った。古来より流域の人々には、川そのものをご神体と考える風習があり、四万十川の中洲・三島には神社が祭られ、周辺流域の安全を守る神として篤い信仰を集めていた。
     四万十川を通行する筏師や舟乗りは、中州の中央に鎮座する三島神社に向かって礼拝し旅の安全を祈ったといい、この三島は心のよりどころであり、それを守ってきたのが轟集落である。 現在、三島は水田が耕作され、轟集落の住民の生活を支える重要な存在であるとともに、夏場の水稲、冬場のナバナの栽培によって季節ごとに彩る景観が、四万十川を通行する人々に感銘と安らぎを与えている。

    49 町道三島線


    町道三島線

    所在地 四万十町昭和字三島197-5〜四万十町昭和字古川1072
    管理者 四万十町

    町道三島線は、町道昭和戸口線から分岐して四万十川の中州・三島の中を通り、上流側の町営キャンプ場に至る道である。
     中州・三島には三島神社が祀られ、周辺流域の安全を守る神として河川流通に携わる人々や住民の篤い信仰を集めていた。聖域として崇められていた。三島神社は心のよりどころであった。
     三島神社は洪水で流失し、昭和にシトコロに遷座している。現在の三島では、農業という営みによって創り出される季節ごとの景観が、四万十川の魅力となっている。また、中州の上流部は、河原も広く町営のキャンプ場も設置されて親水性があり、特に夏は県内外から多くの家族連れでにぎわう場所である。 中州の中をめぐる町道三島線は、四万十川の豊かな自然と魅力を身近に感じることのできる道である。


    このページに関するお問い合わせ

    にぎわい創出課

    〒786-8501 高知県高岡郡四万十町琴平町16番17号
    電話:0880-22-3281 Fax:0880-22-5040

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